ピアノを弾く整体師からの手紙

音大を卒業した現役整体師が日々の想いを包み隠さず伝えていくブログです。

施術をする上で大切なことを雑巾掛けから学びました

雑巾がけを始めて数日が経過しましたが、早速色々と大切な事に気がつけました。

 


まずは予想していたよりも良いことが沢山おきます。

 

身体を動かすから、運動不足解消になりますし、何より身体がスッキリします。

 

家も綺麗になるから気持ちがいい(太陽の光が当たると、床がピカピカするようになりました)

 

身体を動かすし、家の中も綺麗になるから自然と心もすっきりする

 


1つ1つ手間をかけて

時間をかけて

身体を動かして

汗を流して

掃除をする


もしかすると今の時代には、非効率なことかもしれません。


今はルンバみたいな自動で掃除をしてくれる機械を使えば、ボタンをポチッと押せば全部綺麗にしてくれますしね。

 


でも僕は、あえて非効率な事をやってみたい。


一般的には雑巾がけなんて


身体を動かすから疲れる

雑巾を使うから手が汚れる

朝は忙しいから雑巾をかけるほどの時間を作れない

 

これらのようにいくらでもやらない理由がでてきそうですね。




確かにその一面はありますが、ちょっと視点を変えてみてみると。

 

 

身体は疲れるかもしれないけれど、身体は動かさなくても疲れるから(整体師の視点だと動かさない疲労の方が、体には悪い)疲れても身体は動かした方がいいし

雑巾がけで手が汚れても、石鹸で洗えば10秒くらいで綺麗になるし、 手からいい香りがするし

朝は忙しいというのは、もしかすると本当に忙しいのではなくて、あえてき忙しくしている方が、安心なのかもしれない。


まぁこれらは僕の主観が少々混じってますけどね。

 


効率化させる事は大事

 

でも僕はあえて非効率な事をやる


時間と

 

労力と

 

手間をかけて

 

汗を流しながら

 

掃除をする

 

 

膝をついて、床に顔を近づけて雑巾がけをするから

 

普段立っていたら気がつかない汚れやゴミに気がつく。

 

あ、こんなに小さなゴミが沢山あったんだ。

 

あ、こんな所も汚れるんだ。

 

1秒1秒に発見があります。

 

 

と同時に今までいかに自分の足元をきちんとみないで来たかという事に気がつかされます。

 

立っているだけでは中々気がつくことができない沢山のことが床にはありました。

 

膝をついて、顔を床に近づける事で、

 

今まで見えなかったもの

 

いや、今までみようとして来なかったものが見えて来ました。


そしてこれは、僕が普段施術をしている姿勢にも現れると感じました。


僕はお医者さんじゃないけれど、一応整骨院は医療類似行為といって医療の一端を担う仕事をしています。


そんな僕らの仕事のお客さんとなるのは、患者さんです。

 


ここでお客さんと言うのはニュアンスがだいぶ違いますが、わかりやすくするためにあえて使いました。


僕はこの

 

膝をついて、床に顔を近づけるという雑巾掛け

 

という行為は


患者さんに限りなく近い所で寄り添う。


のと同じだと思いました。

 

立って掃除をしていたら、普段見逃してしまうゴミが沢山ある。


これは施術に当てはめると


立っている=偉そうにしている

つまり、自信過剰

自分はすごいんだぞ、偉いんだぞ

 

という態度で患者さんと接するということです。


ですから、患者さんの本当の訴えに気がつけません。


一方雑巾掛けの方は


立っていたら気がつかないゴミに気がつける。


これも施術に当てはめると


膝をついて床に顔を近づける=患者さんに限りなく近い所で寄り添う。


つまり、患者さんの気持ちを想像しながら施術をするということです。

 

そして、近くにいるから、患者さんの本当の訴えに気がつける可能性は高まります。


これは、よくよく考えなくても当たり前な事ですが、施術者は患者さんから

 

『先生』

 

と言われますから、自分は凄いんだと勘違いしがちです。


そんな勘違いをしてしまったら、患者さんの辛さを理解できません。

 


そんな勘違いをせず、自分を律するのにまさか雑巾掛けが役立つとは思いもしませんでした。

 

いつも淡々と

 

いつも謙虚に

 

出来ることを丁寧にやり続ける

 


これは、一生かけて大切にしていきたいものですね。

自分と向き合う為に本当に必要なこと

僕は昨年の12月から

 

 

自分が本当は日常でどんな感情を感じているのか?

 

という部分にフォーカスを当てて、自分と向き合って来ました。

 

 

そのおかげで

 

 

自分の中で知りたくなかった本音

 

気がつきたくなかった気持ち

 


それらを知ることができました。


正直ちょっと辛い部分もありましたが、覚悟を決めて自分の本音を受け入れました。


今は確かにしんどい

 

だけど、そこを無視するのは

 

自分を大切にするという事とはかけ離れる

 

と思ったから、勇気を出して、覚悟を決めて、受け入れました。

 


だから、何か今変わったか?

 

 

となると、正直自分ではわかりません。

 


でも、ずっと長年僕が怠って来たこの地味な作業は僕にとって必須作業ですからこれからも続けていこうとは思ってます。

 

 

 

ですが、自分の本音に気がつけたのは、どう考えても僕と関わってくださった人全員のおかげで出来たのです。

 


それは

 

仲の良い人

そうでもない人

 

とか関係なく、むしろ

 

電車の中でたまたま近くに立っていた赤の他人さん

 

のおかげで気がつけたこともあります。


ということは


自分と向き合うのには


必ず自分以外の人が必要なんです。


つまり、僕は

 

僕以外の人全員のおかげで自分の本音に気がつかせてもらうことが出来たんです。


自分1人では不可能です。

 

んで、僕は1つの答えを見つけました。


その答えは

 

自分と向き合うの為には必須条件なのではないか?

 

と思っています。


それは


人様の為に何かをする事。

 


です。

 

落し物があったら拾ってあげる


道に迷っている様子だったら、声をかけてあげる。


咳をしていたら、飴をあげる(おばあちゃんみたいですね)


こういう、ちょっとした気遣い、気配りが大切なのでは?


と思います。

 

いや、これ当たり前だろと思うかもしれないですが、僕は

 

 

自分の為に何かをする

 

ってなると

 

他の人がみえなくなるんです。

 

 

まず自分が


誰よりも自分が

 

 

そうなってしまうんです。

 

 

大学生の頃の僕はこんな感じでした。

 

 

そして、10年くらい前の僕は、逆にまず人様を優先にというスタンスでした。

 


でもその人様を優先にというスタンスは、

 


自分が嫌われないように

 

 

という気持ちが僕の奥底にあったので、結局は人の事を優先しているようで、自分の事を最優先にしていたんです。

 

 

けど、本音はそうであっても人の為に何かをするというのは、ある程度周りから評価をいただくことが出来ます。

 


ある程度ですけどね。

 


けどある程度でも結果が出たら、自分のやっていることは間違ってないと勘違いするのが僕でした。

 

 

ですから奥底の気持ちを隠したまま、何年も何年も過ごして来ました。

 

 

でもそのツケが

 

 

自分の本音がわからない

 


という結果になりました。

 


でもこうして

 

僕はずっと

 

 

人に嫌われなくない

 

 

という本音があったことがわかって

 

 

それがわかった上で

 


人の為に何かをする

 

 

という事が大事なんだとやっと気がつけました。

 

 

 

今までは

 

自分の気持ちは無視してでも、人様の為に

 

と思っていましたからね。

 

 

人の為に何かをすることは大事。

 

 

でも、その根底に

 

嫌われたくない

 

があると、おかしなことになる。

 

 

 


本当に、だいぶ長い間遠回りをして、小学生でもわかる大事なことに気がつけました。

 


笑っちゃいますね(笑)

 


気づけたからには、即行動。

 

まぁこれもまだまだ僕にとっては勇気がいることですが、頑張ります。

背伸びをし過ぎて生きてきた。

前回書いた記事で、僕は丸裸になったと言いました。

 

その記事はこちらからです。

 

 僕が心の仕組みに興味を持った本当の理由 - ピアノを弾く整体師からの手紙

 

丸裸になって

 

鎧を着ないで生きていると

 

正直とても怖い。

 

僕がずっと隠してきた

 

 

 

醜い所

 

みっともない所

 

卑しい所

 

逃げてきた所

 

 

これらが全部現実に反映されるようになりました。

 

 

どうやって反映されたのかと言いますと

 

 

僕が今メインで関わっている人が変わり始めて、そしてその周りの人達があまりよろしくない態度や行動をするようになったんです。

 

現実は全て自分が作っている

 

現実は自分の鏡

 

というのを僕は信じていますから、こうやって僕が自分自身を嫌っていた部分が目の前に現れている。

 

そう思っています。

 

でも正直な話、だいぶキツい。

 

だいぶキツいけど、現実から気がつかせてもらえる事がとても多い。

 

ギャグなんじゃないかってくらい僕の内面が現実に反映されている。

 

反映され過ぎて笑ってしまった事もありました。

 

いちいち向き合うってのは不器用かもしれないし

そんなことしなくても生きていけるじゃん

 

と思われてしまうかもしれませんが、僕は逆に今はいちいち向き合わないと、前に進まないんです。

 

もちろん義務ではなくて、向き合いたいから向き合っているんですけどね。

 

あと、僕は中学生の頃からずっと背伸びをして生きてきました。

 

背伸びをしてきたから、今この瞬間の自分をほったらかしにして生きてきました。

 

そのツケが今ドバッと現実に現れている感じですね。

 

そしてやっと僕は

 

無理して大人にならなくていい。

 

と思えるようになりました。

 


僕は中学生の頃から

 

ずっと大人になりたい

 

むしろ

 

僕は周りの人よりも大人なんだ

 

 

と自分に言い聞かせて、自分を無駄に守ってきたので、大人にならなくていいというのは僕にとってホントにキツかった。

 

けど、無理しないって楽でいいね。

 

ずっと無理してきたから、無理するのが当たり前で、んで無理していることさえわからなくなった。

 

 

けど勇気を出して

 

無理をして大人になるのをやめたら

 

 

 

めちゃ楽だった

 

こんなに楽なら、早く気がついときゃよかった(笑)

 

 

楽だけど、現実は僕の抑えてきた嫌な部分が反映されてるからそっちはキツいですよ。

 

矛盾してますが、これが本音です。

 

 

楽だけど、キツい。

 

 

何か不思議な感覚です。

僕が心の仕組みに興味を持った本当の理由

僕は高校生の頃から心理学に興味がありました。

人間の心理ってどんなものなんだろう?

人の心ってどうなってるの?


最初は確かそんな興味からだったと思います。


学校の図書館で本を借りて、ちょくちょく読んでいたりしました。


んで学生の身分が終わり、人と身体を通して接する仕事に就いたことをきっかけに、更にその人の心理とか行動とかを知りたくなり、色々とまた本を読んだりしました。

また、東洋の考え(陰陽五行論)にも興味がでて、簡単なものではありますが本を読んだりしました。


けど、それらの情報を得るのに、僕はとことん追求するというところまでやっていませんでした。

 

もちろんある程度の所までは多少知識を入れましたが、それが現実に役立っていたかというと、役立っていたのは多少です。


そして、知りたい欲求は強いんだけど、実際に本をまた更に読み漁ったり情報を仕入れたりしたか?

 

というとそれはやらなかった。

更にそのやらないという傾向はここ2〜3年顕著でした。


おかしいな?

 

僕は心の事を知るのは好きなのに、なぜその欲求に対しての行動が少ないのだろう?


本当に好きならもっとアクションするはずなのに。


自分のことながら不思議でした。


そして、去年の12月から、自分の外側に色々と真実を求めていた事に気がつき、そこからボロボロと僕の隠してた感情が出てきました。


その中で、1つ衝撃的な事実があったんです。


これに気がついた時(今朝なんですけどね)肩の力がススーット抜けました。


あと、呼吸が深くなりました。


どんだけ緊張してたんだって話ですよね。



さぁその衝撃的な事実とは一体何だったのでしょう?

 

 

 


それは

 

 


人から嫌われないようにする為に、心理学や陰陽五行論や人相学とかに興味があった。

 



という事です。


僕が心の知識を得たいという欲求の根底には

 

 

他人から嫌われないようにする為の手段


という事実があったんです。

 

人を理解したい
人のことをもっと知りたい


という裏に隠されていたのは、

他人から嫌われないように

という気持ちがあったからなんです。

 

相手の事が理解できれば嫌われない

 


嫌われない
嫌われたくない

 

 

っていうのが根底にあったから、だから色々と学ぼうとしていたけど、実際にはそこまで手を出してなかったんだぁと。


よくわかりました。


自分のマイナスエネルギーである

 

嫌われたくない

 

という心の隙間を満たす為にやろうとしていた事は、ことごとくやろうやろう詐欺で終わってる

 

 


だから

やりたいことをやる

 

と行動しようとしても


やりたいはずなのに、今飛び込んでいかないのはなんでだろう?

 

本当にやりたかったら、すぐにでも調べたり本を買ったりするのに何故だろう?

 

と思っていましたが、


結局は


人から嫌われないくない


という奥底にある感情があるから、それを解消する為の対症療法で知識を入れようとしても、僕の潜在意識は拒否ってたんだなぁと。

 

と感じました。

 

じゃあ、嫌われたくないの更に深いとこには何があるんだろう?


もう一歩先まで掘り下げてみました。


すると、過去人に嫌われた時に抱いた感情がやっぱり辛かったということがわかりました。


その嫌われて凄く嫌だった時の感情を抱いたのは中学生の時かなぁ?


かなり辛かったから、その時の嫌な感情から僕は自分を守る為に


僕は大人

周りの人が幼いだけだ

 

と自分の精神的な立場を人より上にしました。


それでなんとか保ってきた。

僕は人とは違う

僕は一般の人とは違う

 

という自分はみんなとは違って特別な人なんだという意識を無理矢理刷り込ませることで自分の心を保っていたんです。


だから、人から


変わってるね

普通じゃないよね


と言われたら嬉しかった。

 

けどそれは


僕が中学の時に作り上げた幻想

なだけであって

 

僕は


ただの1人の人間。


それだけ


だから、そもそも普通とか普通じゃないとか、そういう概念をもたせる事がナンセンスなんです。

 

僕は


有賀健人


という、1人の人間。


ただそれだけ。

 

だから、変と言われて喜ぶことも
普通と言われて不機嫌になる事も


全部必要ない。


僕は僕。


この地球に生まれてきた、1人の人間っていうだけ。


シンプルなんです事実は。


そこに余計な概念を作ったり刷り込ませたりするから、複雑化して自分がなんだかわからなくなっている。

 

僕は僕


普通とか


変とか


そういうのは全くない。



僕は僕なんです。

だから他人から嫌われることを心配する事はもうお終い


いい顔をするのもお終い。


今まで繕ってきたものは


全部お終い。


ですので、今僕は丸裸です。

 

心が丸裸。

 

正直凄く怖いけど、でも無駄に鎧を着まくって身動き取れなくなるよりずっとマシ。


嫌われたくないって鎧を身に纏うのはもう疲れました。



丸裸だから恥ずかしいけど、でもスッキリしています。

 

これからの僕が自分のことながら楽しみです。

本当の自分の気持ちを感じる

昨年末辺りから、僕が反射的に感じてしまう自分の感情を無視しないで、ちゃんと向き合っていくという事を始めています。 

 

恥ずかしながら、僕はいつからか覚えていませんが、自分の気持ちは後回しにして今この瞬間正しいと思われる事を選んで行動してきました。

 

それが当たり前になっていて、そして自分の気持ちを後回しにする事に慣れすぎていて、自分が常日頃感じていた感情が本音だと思い込んでいました。

 

本当に僕が感じていた感情は、奥深〜く

で泣き続けていました。

 

早く気がついてよ

 

お願いだから、ウソで表面を固めるのはやめて

 

 

多分長年そのように僕の奥深くの感情君は訴え続けてきたと思います。

 

 

でも僕はその訴えを完全に無視し続けてきました。

 

 

その結果

 

 

自分の本音や気持ちが全く分からなくなっていたのです。

 

 

というよりも

 

 

分からない事がわからなくなっていました。

 

 

本当に困ったものです。

 

 

けど、僕の感情君は粘り強かった。

 

 

 

長年訴え続けてきたら、普通は疲れて嫌になると思うのですが、嫌にならずに、ずっと僕に訴え続けてきてくれました。

 

 

僕が気がつくまで、ずっとずっと諦めずに訴え続けてくれました。

 

 

やっと去年の12月に、色々な方の助けもあり、気がつく事が出来ました。

 

 

僕はウソで塗り固められた人生を長年歩んできた事。

 

実は誰よりも寂しがり屋で、でもそれがカッコ悪いと思っていて、必死に隠してきた事。

 

まぁその寂しがり屋もダダ漏れだったみたいですが、それさえも気がつかないで必死に隠してきました。

 

滑稽ですね。

 

 

あともう1つ

 

 

僕にとってとても大事な事を思い出させてくれました。

 

 

 

それは

 

 

 

音楽が好きな事

 

 

 

特に

 

 

 

ピアノが好きな事

 

 

 

 

小さい頃からやっていたピアノをここ3年くらいまともに弾いてなかったのですが、とある事をきっかけに再び弾くようになりました。

 

 

すると、不思議な事に、僕がずっと忘れていた感情が、溢れるようにドバドバと出てきました。

 

 

 

時には、ピアノを弾きながら、気がついたら涙を流している時もありました。

 

 

実はあれほど好きだったピアノを、僕はもう生きていく上で必要ないと勝手に思って、手放そうとしていたのですが、とんでもないですね。

 

 

 

僕にとってピアノは息をするのと同じくらい日常に必要なんです。

 

 

僕にとってピアノは、生きていく上で絶対に必要なものだったんです。

 

 

 

 

こんなにも大事な事にも気がつかせてもらいました。

 

 

 

 

これから僕は、ずっと忘れていた、いや取り残してきた感情を1つ1つ取り戻していきます。

 

 

 

その取り戻していく過程で、気がついた事や僕自身が感じた事を、文章にしていきたいと思ってます。

 

 

 

あとその感情を感じながらピアノを弾いていきます。

 

 

 

どうなるかはわかりません。

 

 

 

誰の為にやるわけでもありません。

 

 

 

 

僕は僕自身の為に、行動していきます。